幼少の頃から、服は好きでしたか?
そうですね。実家がニッターなんですよ。当時ニッターさんはお金を持っていたので自分で糸を買って染めて自分でニットを作ります。小さいころからセーターの中や、ウールの糸の中で育った記憶しかないですね。
その頃の環境がファッション業界へ進む道のきっかけになられたのですか?
うーん。ただ思うんですが、服を着始めて人間の感性ってあまり差がなくて人間「おぎゃー」と生まれてから死ぬまで服を着ていますからねー。そこにあまり大差はないと感じています。ただ、服好きになったのは親に感謝したいです。服の仕事をしているのにも関わらず、今となっては贅沢ですがプロパーで全部買っていましたね。うん、これは親に感謝ですよ。親はそういう意味では原価が安いのは知っているじゃないですか。知っているのにも関わらず、田舎の専門店でVANやJUNなど学校の帰りに洋服を買っていたんです。結果そこで、親の影響を受けているのかも知れません。
現在はトランスコンチネンツの取締役として会社を経営されていますがここにいたるまでの経緯をお聞ききしたいのですが。
学校卒業後、トーア紡という会社に入社しました。その中に、アパレル部門がありまして当時パリコレのチェリーミュグレーをやっていました。そのブランドが好きでその会社に入社したいという思いで入社しました。入社後は海外のブランドのライセンスでしたから、パリに何回も往復したりしていて、最後はMDをやりました。そして、縁がありワールドに入社しました。何でか というとミュグレー、シャンタルトーマス(ワールド)がコンベジターでして、お互い仲良くして2人でよくパリや日本で会ったりしていました。「ライセンスビジネスはもう終わって、これからはSPAだよね。」という話をしていたんです。突然、「オゾックというブランドをやろうと思っているんだ。ワールドに来ないか」と言われオゾックでMDをやることに。オゾックに携わったのは3年間で、その間にインデヴィ・ボイコットをつくったり、僕はボイスメールというブランドを作ったり、オゾックグループだけで500億ありました。オゾックは3年で300億になったんです。 2度と起きない奇跡だとおもっています。 MD兼ブランド長をやって、僕は新しいものが好きだったので当時やっている郊外系のブランド、ハッシュアッシュというのがあってそれがうまくいっていなかったんです。こういうものより、一気に4つぐらい作りましょうという話をしたんです。どういうことかというと、コムサイズムが400坪、ワールドは1つで100坪ぐらいしかやってないんですよ。じゃあ、400坪をやるコムサの坪効率とワールドが100×4 の坪効率でしたらワールドの坪効率は倍ですよというふうな結果を示しましょう。ということでハッシュアッシュの売り上げを上げていったんですよ。MD構造を変えていっておかげさまで4ブランドできました。当時はタケオキクチ、サンカンシオン、ハッシュアッシュ、エンポリアムなど。その後、ブランドが育ちかけた時にいつも新しいブランドをやらされており、インデックス、アクアガール、ドレステリアなどバイングSPAアンド駅ビル系を中心とするSPA事業部にいました。当時ワールドでは池内(トランスコンチネンツ現社長)はSPAの親分で私はSPA事業部の副事業部長をやっていました。そうなってくるとワールドの売り上げのほとんど。そこから事業開発部というのをつくってワールドの新しいブランドを作るのは僕の仕事ということになったんですよ。当時は企業買収や新たな事業展開とかジュエリー、下着をやってみようとしたりいろいろやりましたね。その後退社して、セオリーにいったんですよ。同時期に池内もワールドを退社して関西でホームセンターの社長に転身していたんだけど・・・いつかは2人で会社を起業しようと夢を持っていました。そして、トランスコンチネンツをベースにがんばりなさいとイマージュの社長に言っていただいて 現在、池内とこの会社を経営しているという状態です。
これまでに多くのブランド開発に着手され実績を上げることは大変だったと思うのですが、苦労されたことはありますか?
いつも苦労していると思っています。ある部分いらつくこともあるし。人間って面白いもので、良い思い出だけが残っているようにできあがっている。葬式で24時間泣き続けることは不可能のように、悲しいのだけれどもどっかで笑いが生まれる。悲しみ、怒りというものを自分の中にどれだけ溜めこむということ以前に過去の辛い思い出よりも楽しい思い出をもって生きてゆくほうが良いと思う。もし本当に苦労していたらここにはいないと思っています。乗り切ってきているわけですから、結果苦労してないんでしょうね。
現在日本国内においてメイドインチャイナの商品シェア率はかなり高いものになっていますが、メイドインジャパンの今後の在り方や方向性についてどうあるべきでしょうか?
残念ながら、メイドインジャパンだから良くてメイドインチャイナだから悪いということは無くなっています。メイドインジャパンのあるべき姿は何なのか?といわれた時に、「当然工賃も高いです。」「上代も高いです。」となったら、そのマーケットで戦える服を作らざるを得ないと思うんですよ。だから、工場さんがまるで中国製の責任にしたり何かの責任にするのは気持ちは分かるんですが、だったら戦える場所のところで服を作るようにもっていきなさい。もうひとつは日本でしかできないことは何なのかを考えるべきです。例えば、クイックレスポンスであったり。中国は大分良くなったとはいえ、納期に3、4週間かかる。日本だったら1,2週間で終えるというふうな形でいくとか。ただ、工賃を払える高級品ばかりで行けというアドバイスではなくて、グッドイナフをメイドインチャイナじゃなくメイドインジャパンで作るためにどうするべきかをいつも考えるべきだと思う。例えば、そのブランドの追加発注が10000枚とかだったら日本でできることはありませんよね。ところが、100枚、 200枚ですとニットの世界で言うと成型ではなくインテグラル、もしくはカットソーやセーターでOKというブランドを取り扱っている限りにおいてはメイドインジャパンの勝ちはあると考えています。ところが、フル成型です。など、それだってクイックレスポンスができなければメイドインチャイナのテヨコにもかなわないですし、最終的にいえば島精機の機械をチャイナにもっていく方がもっと安いということになりかねないじゃないですか。僕はメイドインジャパンが良いとも悪いとも言い切れない。ただ、メイドインジャパンの進むべき場所はいっぱいありますよ。じゃあ、デザイナーズブランドの付加価値があくまでもデザイン領域にいくとするならば全部メイドインジャパンでつくれるでしょと。ただし、そのブランドが売れないとすると今度はクリエイティビティーが工賃や原価を払うまでの構造になってないというだけの話です。
若手のデザイナーズブランドやこれから起業される方に期待も込めてアドバイスを頂きたいのですが。
まず、デザイナーさんというものに対して言うべきことがあるとするならば、デザイナーとして自分がどうなりたいのかというイメージを持っていますか?ということです。例えば、自分がデザインする洋服が多くの人に着てもらえることに喜びを感じるとするならば企業に入った方が早いです。自分がデザインする服を少しの人でもいいからちゃんと分かってもらえた方がいいと思っているのであれば、どれだけデザインの価値や洋服の付加価値を上代で取るかというストーリーだと思うんです。 ただ、それが黒字にならないとするならば、アウト以外にない。自分が好きなことをやってご飯が食べれたらいいに越したことはない。好きなことイコールご飯が食べれて売れること、売る人や仕入れる人も含めて儲からなかったら誰があなたの夢に共感しますか!ということだと思います。起業家の方に話をするならば、起業するということはお金持ちになり良い家に住みたいでしょうね。僕は、否定をしないです。僕もその欲望が無いと言えば嘘になります。あるに決まっています。そのために何をするのかとなった時に、儲かることは売れること。売れるとは何と言われれば、実は一番難しくて、売れないことをしないことです。自分の自戒を含めてなんですけどね。売れないと言う事は売れないようにしてると思うんですよ。売れるとは、売れるようにしているのではなくて売れないような道を避けていると僕は思うんです。そこにキーポイントがあると思います。若い人で起業されたい方は、僕自身もその立場でもあるし応援もしますけれど、人との出会いは大切です。サラリーマンって権限が無いようで、10年たったらもの凄い権限を持っていたということがあるんですね。会社の名のもとにリスクの払える立場にいたり。要は、工場、生地屋、メーカー、大企業であろうと人間関係を大切にすることは絶対必要なことです。代官山コレクションに参加されるブランドさんと話す機会もありますが、この事は常に心がけて前向きに頑張ってください。
株式会社トランスコンチネンツ
専務取締役
嶋津厚志
学卒後トーア紡織入社
ワールドに転職
オゾックブランド長・オゾックグループ長
FCOM・FCMS・バイイングSPA事業部長
SPA事業部副事業部長
執行役員兼事業開発部長など歴任
ワールドを退社して現在は(株)トランスコンチネンツ
専務取締役・・事業再生に邁進している
トランスコンチネンツHPへ
|